+++徒然かたり+++嵐・大野智さん

嵐のリーダー・大野智さんについて、こっそり語ってます


今日の日はさようなら【追記あり】

24時間テレビドラマスペシャル
『今日の日はさようなら』


このドラマを見た方、それぞれの年齢や立場から、みなさんそれぞれに色々考えさせられたり、様々な感想を持ったことでしょう。

私は、24日(土)は武道館で観覧でしたので、後日、録画を見ました。
ドラマより先に、みなさんの感想を読んだり、
ほかのコーナーを見ようとしてHDDの録画をスキップサーチしている途中に、
いくつかの場面を目にしてしまったりしたのですが、
リアルタイムにドキドキしながら観ていたら、また別の新鮮な感想を持ったかもしれません。

これはドラマの感想というより、
通して見終わったあとの、自分なりに感じた気持ちです。
「さとしごと」というより「わたしごと」になってしまいますが。

見終わった直後、感じたこと。

自分自身を認めることができて、明るい気持ちになりました、ありがとう。


※実在の方をモデルにしてはいますが、あくまでドラマとしての感想です。
私には、抗がん剤投与の経験があります。

乳がんの診断を受け、2005年の6月に左乳房全摘手術を受けました。
手術を含めて約5週間の入院生活を送ったあと、退院後に通院で抗がん剤治療を受けました。
抗がん剤と言っても、その種類や副作用は薬によって様々だそうです
私などは原作の昌彦さんの壮絶な治療に比べれば、全然ライトだと思います。

私の場合は、3週間に1度の抗がん剤の点滴を4クール受けました。

抗がん剤投与のために水曜日の午前中、外来に行きます。
1時間ほど点滴を打ちます。
打ち始めると次第に、おでこのあたりがジリジリと不快感が有り、「抗がん剤が体に入ってきたのかな?」と感じますが、なるべく気分をそらすために、点滴中は大好きなアジアのヒーリングミュージックを聴いて過ごしました。(当時は、まごまご嵐とDの嵐は欠かさず見ていましたが、まだ嵐の音楽は未開拓でした。今だったら大野さんフューチャー曲をセットアップして聴き続けることでしょう)

点滴中にも気分が悪くなることもあるようですが、私は大丈夫でした。
点滴が終わり途中で昼食にパンを買って帰宅します。

朝食と昼食は、吐くことを前提に、選びます。
消化の悪そうな固形物は避け、食べやすそうなパンと、かぼちゃのポタージュなどを作りました。
焼きバナナがいいと聞いて、フライパンで焼いたりもしました。

のんびり過ごして、夕方、「そろそろだから、寝るとするか」と布団に入ります。
そして、夕方7時頃に吐き気がやってきて、翌朝まで繰り返し、トイレに行きます。

抗がん剤投与翌日は、吐き気は収まりますが、そんなわけで食事はまず取れません。
ポカリスエットと、ヨーグルトくらいで過ごします。
3日目(金)はおかゆとか蒸しパンやうどんみたいなものが徐々に食べれるかな。
4日目(土)は夕飯ぐらいには、なんとか普通の食事が取れるようになり、
5日目(日)は、家族のために夕飯を作ることができるようになります。
そして月曜日。完全復活。
私の場合は、何故か月曜日にパワーが漲って、普段しないところを掃除したり、銀行やコンビニに支払いに回ったりしていました。

その後は普通の生活を送り、3週間後の水曜日にまた点滴に行く。
点滴を打った日は夕方からトイレの床に便器を抱えて座り込むことになるので、前日は、念入りにトイレ掃除をしておきます。

私の場合は連日抗がん剤を投与するわけではないので、3週間に1度の水曜日~土曜日位まで苦しいのを我慢すれば普通に過ごせました。それを4回繰り返しました。

初めて点滴を打ってから2週間後に、脱毛が始まりました。
ポニーテールを結った時の引っ張られてツレル感覚を地肌に感じるようになる。
手櫛をした時に、指のあいだに抜け毛が1、2本絡んでくることは誰でもよくあると思うけど、
それが結構な本数になる。
そして何度繰り返しても、絡んでくる本数は減らない。
とうとう始まったか…という感じ。

髪はあらかじめ少しカット(普通に耳の下ぐらいの長さ)しておいたけど、我が家にはバリカンはない。
さすがに床屋に行って坊主にしてください、とは言えないので、そのままにしておいた。

脱毛が始まったその日は、排水口に三角ネットをして、恐る恐るシャンプーをした。
軽く束にして引っ張ると、何の抵抗も痛みも感じずに抜ける…と言うか、取れる。
いっそ、このまま洗い流して丸坊主になったら楽だと思ってやってみたけど、
そう簡単に絵に描いたような丸坊主ができるはずもなく、
「ええい、今日はこれくらいで勘弁してやらぁ」といいつつ、程々にしておいた(笑)

寝て起きると、枕に抜け毛がたくさん着くから、毎日、ハンディタイプのコロコロで取った。
たくさん抜けても、つるっ禿げになるわけではなく、多少の髪は残る。
私の場合は、まつ毛や眉毛には影響が出ない薬だったので、バリカンを入れなくて正解だった。
家の中では、お風呂上がりのように頭にタオルを巻いていたのだけど、残った毛が耳元や襟足から後れ毛のように出ていて、自然に見えた。
残った毛は大事に扱うために、シャンプーは「地肌を洗おう」がキャッチフレーズのメ○ットに変え、それもすすぎの回数を減らすためにリンスインタイプにした。

ただし、タオルを取ると、髪の抜け落ちた古い人形のようで、まさにホラーである。
髪が抜け落ちて胸のふくらみの代わりに30センチ近くに渡る一文字の傷跡がある、お風呂の鏡に映った自分の姿は、目を背けて決して見ることができなかった。

あとは副作用として、粘膜が弱くなって鼻血が出やすくなる場合がある、とあったが自分には当てはまらなかった。
でもちょっと思い当たるフシがある。

抗がん剤投与の日から6日目の完全復活の月曜日。
前日ぐらいから普通に食事も取れるようになり、初めてのお通じがあります。
その時に、おしりが切れるのです。
最初はたまたまかと思いましたが、やはり毎クール、切れるのです。
どうやら、私はお尻の粘膜が弱くなるようです。

4クール(最後の点滴)が終わって、完全復活の月曜日。
私は完全復活の月曜日を迎えると、毎回、好きなエスニック料理が食べたくなります。
この時は手術入院から3ヶ月。自宅療養を終え、2週間前に職場復帰をしていました。
職場の同僚と、近くのインド料理店にランチに行き、調子に乗って辛さレベルアップのオーダーをしてしまいました。

そして帰宅後、お手洗いで。
「ヤバイ!すっかり忘れていたけど、最初のお通じはお尻が切れるんだった!!」
と気づいたけど、後の祭り。
もうもうもう唐辛子がヒリヒリ痛くて
生まれて初めて、脱糞で泣いた
大変な時に、まさに笑えるお下劣な思い出(笑)





大切な人に何を一番覚えていてもらいたい?

晩ごはん、なぁに?



母親も40代の時に同じ手術をしており、今も健在(別の意味で高齢者なので要介護だけど)なので、
自分自身も、すぐに“死”に結びつくような不安はありませんでした。
ただやはり、もし“再発”した時は覚悟が必要になることもあるかも…とは考えました。

そうなった時は、ダンナを残して先立つことを考えました。
当時、ダンナはまだ30代。私たちには子供はいません。
当然、ダンナさんには新たに家庭を持って子供にも恵まれて第2の人生を歩んで欲しい、と思いました。

もしかしたら、自分が彼の目の前から消えるかもしれない。
その時に考えたことは、

毎日毎日、
何かにつけて、「ありがとう」とたくさん言おう。
そうすれば、心の中に思い出として棲んでいる私は、きっといつも笑顔で「ありがとう」と言ってる姿だ。

って、メルヘンでもなんでもなく、その時、そう決めて今でもずっと実践しています。


そしてダンナは結婚当初から、毎日、「今日のごはんは何ですか!?」と言いながら帰ってきます。

子供がいれば子供を通じて家族になれるけど、2人っきりの家庭なので、血縁者ではない家族なのです。
だから、私は家族である証として、家で晩ごはんを食べるときは、2人揃って一緒に食べることにしています。
ダンナの帰宅は、夜11時過ぎることがほとんどですが、いつも揃って「おいしいね」って言いながら食べます。
おかげで結婚後、恐ろしく太りましたが、今となっては気にしません(笑)

よく九死に一生を得て、人生観変わったとか、
大病を経て、自分の経験を生かして、人の助けになったり、社会貢献したり、立派な人生を送る人の話を耳にする。


いま、人生の折り返し地点を通過して、振り返ってみると、
社会に役立つ立派なことを成し遂げたわけでもないし、自分の足跡すら何も残していない。
子供の頃、どんな人生が理想だと思っていたのかすら思い出せない。


でも、今回のドラマで、

大切な人に何を一番覚えていてもらいたい?
晩ごはん、なぁに?


まさに私が日頃から、一番大事に生活しているこの2つのワードがあったおかげで、
平々凡々な自分の人生でも、間違ってはいないんだ。これでいいんだ。って思えました。

闘病中だったときの自分の目標は、「職場復帰」という本当に、一番身近で小さいものでした。
でも、そのために自分を奮い立たせて、元気に明るく振舞っていました。

1年半後に、同じ部署の女性が、初期の乳がんと診断された時に
「madoさんを見ていたから、私もなんの不安も心配もないわ。」
と言ってくれて、壮大な社会貢献はできないけど、たとえ一人でもそう言ってくれる人がいただけで、
自分にも存在価値があったと思うことにしよう…とも思います。


人生の折り返し地点が過ぎた今、
残りの人生は、自分自身を認めつつ、身近な人との幸せをより味わえるように生きていこう、って思えたそんなドラマでした。

今回の24時間テレビで、この2つのワードの他に、
番外編で、私の心に響いた言葉がもうひとつ。

「地球のステージ」のスタッフさんが、24時間テレビに出演した閖上の子供たちについて書いていらっしゃったブログの中の言葉です。(現在、該当の記事は削除されています)

ハズレくじばかりだと思っていたけど、こんな当たりくじもひけるんだ

「何故、自分たちはこんな目に遭わなければならないのかと、被災地で心に傷を負った子供達だけど、武道館で大勢の人の前で、大野くんと一緒にパフォーマンスを成功させて拍手喝采を受けることによって、こんな当たりくじだってひけるんだ、という自信がついたのでは」というスタッフさんの記事です。

たぶん、それは誰の人生でもそう。
ハズレばかりの人生はないよね。

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【追記】
かなり蛇足ですが…

私の当初の目標、職場復帰に際して、体力的な不安もありましたが、一番ネックになっのは、
やはり頭髪問題でした。

自宅療養しながら、近所の散歩や買い物へ出かける位なら、帽子や安価なファッションウィッグで誤魔化せたかもしれません。ネットなどで経験者の方のブログなどを拝見すると、数千円でニット帽につけ毛や三つ編みがついたものもあるようでした。

でも職場復帰となると、私の場合は、都内のラッシュアワーの満員電車で片道40分。
自分の部署の上司や同僚には理解してもらえていても、同じフロアに200人くらいの人間がいます。
ニット帽を被ったまま仕事してたらおかしいし、安物のカツラでは職場や電車内で逆に人目をひいてしまう。
常に人目を気にすることが、何よりも最大のストレスになるだろう。

そう思って、医療用専門のウィッグ(もちろんオシャレ用も扱っている会社です)を購入しました。
本物の人毛で出来ていて、自分の頭のサイズにぴったりなのはもちろん、ヘアスタイルや髪の色も好みにアレンジしてくれて、本当に自然に見えるし、ちょっと若々しくも見えます。
でも価格は35万円以上。そして月1回の専用サロンでのメンテナンスが1万円かかります。
それでも私の通勤ライフには必要なものでした。おかげで自信を持って人と会うことができました。

8月のお盆ころから抜け始めた髪の毛は、9月末の最後の抗がん剤点滴以降は、脱毛は収束していき、
お正月の頃には、ホラーではなくなって、ダンナの前でタオルを外したら「森3中の大島」と言われました。
(退院の時の耕太よりは短くて生え揃っていない)
2006年2月の大野さんのソロコンはウィッグをつけて参戦しました。
3月のお彼岸の頃に、ウィッグを完全に外して、自毛で生活するようになりました。
ベリーショートでしたが、春風が地肌に心地よかったです(笑)

ウィッグの使用期間は、ちょうど半年。高額でしたが、私には自己実現のために必要なものでした。
そしてそれを助けてくれたのは、そう、保険です(笑)
親も乳がんに掛かり、高校生の頃から身近な病気(だったらもっと早くちゃんと検診受けろよって話ですが)だったので、就職した歳からアフラックのがん保険に加入していました。
結婚してからは、住友生命の夫婦保険に入り、ちゃんとガン特約と女性特約を付けていました。
もうひとつ、親が保険屋さんとの付き合いで私にかけていてくれていた保険の、合計3社からの
入院給付金で、見事、このカツラ代がまかなえたのです。
スミセイとアフラック、万歳\(^o^)/
以上、ご参考までに。
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